震災と放射能禍のおかげで、
日本にとって「あたりまえ」だった平和の基盤が大きく揺らぎました。
多くの人たちが将来に不安を感じ、いらだち、元気を失っています。

ちょうどそんな時代の変わり目に、銀座のど真ん中の地下にあるレトロな映画館が、
耐震性の観点から立ち退きを命じられ、半世紀以上の歴史に幕を閉じることになりました。
これもあの震災が招いた不幸のひとつと言えるでしょう。

この映画館は、映画史上の傑作からB級の怪作まで分け隔てせず、
あの昭和の日本映画の魅力の「伝承」に力を入れて、
本当の映画ファンたちからこよなく愛されていた今や貴重な劇場でした。
私は映画評論家として上映番組を作ったり、多くのスタッフ、キャストをお招きしたりと
大いにこの映画館に肩入れしていたのですが、
閉館決定の報せを聞いた時、心のなかでコノヤローと何かが着火しました。

あのまがまがしい震災がこうしてわれらが映画のサンクチュアリをぶち壊すのなら、
最後にこの劇場を舞台にした映画を作って狂い咲きの花火をあげようではないかと。
思いつきでそうつぶやいた時、劇場支配人はきょとんとしていました。
だって、目の前にはお金も機材も人材も、何も約束されていないのですから。

思えば、この劇場が伝えようとしていた「昭和」は、今にして思えば
誰もが好きなことでハメをはずし、弾けることで文化も経済も右肩上がりに
発展した日だまりの時代でした。しかし、今の元気のないニッポンでは
大人も若者もはみ出すことを恐れ、いじいじと守りに入っています。

昭和の血が騒いだ私は、この無謀な映画づくりの思いつきを、気でもふれたかの
ごとく、昭和の日本映画を愛する名スタッフ、名キャストの皆さんに語り歩きました。
この時点ではシナリオなど一切ありません。大多数の方に首をかしげられ、
あえなくこの夢物語は頓挫するであろうと踏んでいたところ、意外にも!
どなたも断る方はいませんでした。それどころか、こんな昭和っぽい無茶な思いつきに、
私の話の終わらぬうちに皆さん「乗った!」とおっしゃってくださったのです。
 
こうして日本映画史上に類を見ない、邦画黄金期の撮影所の大スターから
現在のインディーズのホープたちまで、映画愛だけで結ばれたキャストが集う、
しかもオリジナル企画の超豪華な「手作り手弁当映画」が、
素晴らしくなごやかな現場のなかで生まれました。
いったい何が起こっているのか興味津々で見学に見えた映画人の方々は、
異口同音に「見たこともないような熱気と愛情に満ちた素敵な現場」と感嘆してお帰りになりました。

震災後のいよいよ沈滞し不自由な空気のなかで、スタッフとキャストの、
ここはひとつ面白いことをしてやろうというハッチャけた意気が、この映画にはみなぎっています。
ですから、この映画は映画館の閉館にちなんで、昭和をノスタルジックに懐古する
後ろ向きな作品ではなく、あのみんなが楽しく無茶をやっていた昭和のアナーキーな精神を
これから未来に向けて「伝承」する、とことんポジティブな作品なのです。

ひとことでいえば「昭和の逆襲」。それが「インターミッション」という「奇跡の映画」なのです。